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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

河野 通直 (1564〜1587)

河野通吉の子。母は宍戸隆家の娘。
宗家・河野通直死後の河野家臣団を率いた。
家臣団の内紛問題などを抱えながらも毛利氏に支持を求めて三好・大友・長宗我部らに抗しようとしたが、力及ばず長宗我部元親の軍門に降った。
天正13年(1585)秀吉の四国派兵には長宗我部の前衛として湯築城に籠もり小早川隆景と対峙したが、隆景の勧めにより降伏。
この際、城内にいた子供45人の助命嘆願のため通直が自ら先頭に立って隆景に謁見したと言われる。
降伏後、伊予国は隆景に与えられ河野家は小早川家に吸収された。
隆景の本領・安芸竹原に仮寓を与えられ天正15年(1587)7月14日に同地で没した。
毛利氏の重臣・宍戸元秀の子を養子に迎え、後継者として河野通軌を名乗らせた。
通直は多くの美談を残す人望のあった将で、反乱を繰り返した大野直之も降伏後は通直の人柄に心従したという。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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