目次 > > すず > 鈴木 重朝
これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

鈴木 重朝 (1561?〜1623?)

鈴木重意の子。重兼・重秀の弟。一説には重秀の兄とも重意の孫とも言う。
石山合戦では雑賀衆鈴木党を率いて本願寺に籠もり織田軍を大いに困らせた。
雑賀衆鈴木党は本拠が鉄砲産地の根来に近かったこともあり戦国中期には既に独自の鉄砲傭兵集団を組織していたという。
石山開城後は信長・秀吉に仕え、鉄砲組頭として小牧長久手に200人、小田原征伐に150人を動員した。
他に紀州攻め・九州征伐・小田原征伐などにも従軍、朝鮮出兵でも肥前名護屋に在陣した。
文禄2年(1593)の秀吉主催の禁中能会では他の鉄砲組頭らと共に内裏四足門を警護。
関ヶ原では西軍に属して伏見城寄手の先鋒として鳥居元忠を討ちとり秀頼より感状を与えられた。
敗戦後は一旦失領浪人して翌年から伊達政宗に寄食し、得意の鉄砲技術を伝えて伊達家に騎馬鉄砲隊を組織したという。
慶長11年(1606)、伊達政宗のとりなしで家康より常州石塚に3000石を与えられ水戸の徳川頼房付きとなり家老に任ぜられた。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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