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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

赤井 直正 (1529〜1578)

丹波国の豪族。丹波国黒井城主。
赤井時家の次男。家清の弟。荻野伊予守国知の養子。
初め波多野元秀の娘を正室として娶るが死別。
後、近衛前久の妹の娘を正室として娶り一女をもうける。
その勇猛ぶりから「悪右衛門」と恐れられた。
また、青鬼と呼ばれた籾井城の籾井教業と並べて丹波の赤鬼とも呼ばれた。
天文23年(1554)に義父・荻野伊予守秋清を殺害して黒井城を奪う。
兄・家清の死後に甥・忠家の後見として永禄元年(1558)に天田郡の荒木尚雅を、永禄8年(1565)には仇敵・松永長頼を滅ぼすなど赤井家の勢力拡大に貢献した。
丹波に信長の勢力が及ぶと赤井一族は信長に従い元亀元年(1570)に氷上・天田・何鹿の丹波国奥三郡を安堵された。
しかし元亀2年(1571)に氷上郡に侵入してきた山名氏を撃退して此隅山城・竹田城を奪ったところ山名氏が信長を頼ったため赤井一族は信長に攻撃されることになった。
そのため赤井一族は八上城の波多野秀治らと結び信長の丹波平定を担当する明智光秀軍団と戦った。
直正存命中の赤井一族の抵抗は凄まじく、一度は光秀軍を取り囲み光秀に死を覚悟させるほどだったという。
しかし天正6年(1578)3月9日に直正が病死すると、直正を失った赤井一族は天正6年(1579)9月に降伏した。
死の直前、光秀の使者として直正を訪れた脇坂安治に貂の皮で作った槍の鞘を贈ったところ、その貂の皮は脇坂家で家宝とされたという。


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