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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

赤井 忠家 (1549〜1605)

赤井家清の子。叔父に赤井悪右衛門直正。
幼少時に父・家清が没したため叔父・直正の後見を受けた。
丹波に信長の勢力が及ぶと信長に従い元亀元年(1570)に氷上・天田・何鹿の丹波国奥三郡を安堵された。
しかし元亀2年(1571)に氷上郡に侵入してきた山名氏を撃退して此隅山城・竹田城を奪ったところ山名氏が信長を頼ったため赤井一族は信長に攻撃されることになった。
そのため赤井一族は八上城の波多野秀治らと結び信長の丹波平定を担当する明智光秀軍団と戦った。
しかし天正6年(1578)に赤井家を支えた猛将・直正を失い、天正6年(1579)9月に降伏した。
文禄元年(1592)の朝鮮派兵では秀吉の馬廻。
文禄2年(1593)に播磨国美嚢郡に1000石を与えられたが、まもなく辞任した。
慶長5年(1600)、家康に仕えて大和国十市郡に1000石を与えられた。
慶長10年(1605)4月29日、死去。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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