岡本 頼氏 (1537〜1606)
相良氏(赤池長任)の臣。 初め岩本性だったが、相良氏一族である岡本姓を許された。 槍の名手として知られ、弘治元年(1555)の初陣以来、永禄2年(1559)の久米合戦・獺野原合戦、永禄7年(1564)の真幸攻め、永禄10年(1567)と永禄11年(1568)の大口合戦など相良氏の主要な合戦の大半に出陣し、生涯19回の合戦で武功を挙げたという。 特に永禄11年(1568)の大口合戦では敵将・川上久朗を討ち取る大功を挙げ、島津義弘を追いつめた。 天正14年(1586)、相良氏の属する島津氏の大友攻めに島津義久から菱刈源兵衛・内田伝右衛門らと共に先鋒として所望され、各地で戦功を挙げた。 天正15年(1587)、島津氏が豊臣秀吉に敗れると殿軍として活躍した。 慶長11年(1606)11月3日、没。 「岡本頼氏戦場日記」は「犬童重国軍忠状案」と並ぶ相良家中の軍中覚書である。
水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp http://katsura-kotonoha.sakura.ne.jp/etc/olhlp/00/00/00/3c.shtml