百武 賢兼 (1538〜1584)
戸田兼定の子。 龍造寺四天王の一人。藤津両弾二島(大村弾正・犬塚弾正鎮家・上瀧志摩守盛貞・百武志摩守賢兼)の一人。 武勇百人に勝るとして龍造寺隆信から百武の苗字を与えられた。 名は兼道ともいわれ、主・龍造寺鎮賢から「賢」の一字を与えられて賢兼を名乗ったか? 龍造寺軍の中核として各地に転戦し、今山合戦で大友軍相手に勇戦するなど大いに活躍した。 永禄12年(1569)の多布施口合戦では鍋島・成松・小河らと共に大友勢を撃破し、さらには援軍に駆けつけた立花道雪をも撃退した。 天正元年(1573)の草野城攻めにも成松・円城寺ととも従軍、天正4年(1576)の肥前藤津攻めでは成松・小河らと共に苦戦する鍋島信房・信生の兄弟を救った。 天正7年(1579)、隆信に叛いた大村弾正を上瀧盛貞と共に討つ。 天正12年(1584)の沖田畷の戦いでは隆信の警護役を務め、隆信が討たれた際に賢兼も討死した。
水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp http://katsura-kotonoha.sakura.ne.jp/etc/olhlp/00/00/00/3d.shtml