種子島 時尭 (1528〜1579)
島津氏の臣。 種子島氏の第14代当主。 種子島恵時の子。子に時次・久時。妻は島津貴久の妹。次女は島津義久の後妻。 天文12年(1543)、漂着したポルトガル商人から火縄銃2挺を2000両の大金を支払い購入し、八板金兵衛清定には鉄砲の、笹川小四郎秀重には火薬の製法を学ばせ、鉄砲の国産化に成功した。 天文18年(1549)5月、時堯は鉄砲隊を組織して加治木城攻めに従軍、時尭の鉄砲は百発百中の腕前であったという。 弘治元年(1555)には島津貴久に従い大隅国に蒲生氏を攻めた。 永禄3年(1560)、家督を長男・時次に譲るが2年後に早世したため時堯が家督に復した。 後、次男・久時に家督を譲り天正7年(1579)10月2日に没す。 時尭は屋久島を巡って対立する禰寝氏に備えて屋久島に築城した。 また、琉球との修交にも気を遣っていたという。
水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp http://katsura-kotonoha.sakura.ne.jp/etc/olhlp/00/00/00/4b.shtml