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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

武田 信豊 (1514〜?)

若狭武田氏7代当主。
武田元光の次男。弟に信高。兄弟に文渓永忠? 子に義統・信方。
兄に武田信親がいたが早世した。
妻は六角定頼の娘。
天文7年(1538)7月、弟・信高を擁して反乱を起こした家老・粟屋元隆を遠敷郡名田荘に破り、弟・信高を越前に追う。
天文7年(1538)9月、弟・信高が朝倉氏の力を借りて若狭に侵入しようとしたため、加賀勢に朝倉氏の背後を衝くよう本願寺証如に依頼。
天文8年(1539)、父・元光から家督相続。
天文11年(1542)、細川晴元に与して三好長慶を攻めるが敗れて重臣・粟屋元親を失う。
天文21年(1552)3月、武田氏の元被官・粟屋右馬允が近江から若狭へ侵攻、子・信方を遣わして撃退した。
天文23年(1554)、細川晴元の要請に応じて丹波国へ出兵し松永長頼と戦う。
弘治2年(1556)頃から武田家内で内紛が起こり弟・信高を討ったが、子・義統に敗れて永禄元年(1558)に逸見昌経の手引きで妻の実家・六角氏を頼って近江国観音寺城へ逃れた。
永禄4年(1561)、子・義統との間に和議が成立し若狭に帰国、間もなく出家して紹真と号した。
信豊は故実の筆写や連歌の才に優れた一級の教養人で、晩年は連歌の会を開いて悠々自適の生活をおくり元亀年間(1570〜1573)まで生存したという。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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