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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

武田 信方 (?〜1585)

武田信豊の子。義統の弟。信高の養子?
天文21年(1552)3月20日、近江から若狭へ侵攻してきた武田氏の元被官・粟屋右馬允を撃退する。
弘治2年(1556)、父・信豊と兄・義統の争いで信高が討死すると信高の跡を継いで宮川霞美ガ城主となる。
永禄10年(1567)、兄・義統が家督を兄の子・元明に譲ろうとしたことに反対して叛乱を企むが家臣団の賛同を得られず失敗。
元亀元年(1570)4月、織田信長が若狭に入ると信方は朝倉と結び信長に抵抗し、信長撤退後には若狭の統治を任せられ、10月には武藤友益と共に織田方の山県氏のガラガラ城を攻めた。
天正元年(1573)8月、朝倉氏が滅亡すると信方は若狭を去り消息不明となる。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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