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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

粟屋 勝久 (?〜?)

若狭武田氏の臣。佐柿国吉城主。
若狭武田氏四老の一人として武田信豊に仕え、越前の朝倉氏に備えた。
信豊が子・義統に追放されると逸見氏や松永長頼と結び義統の子・元明を立てて義統に反抗した。
元明が朝倉氏に従い越前一乗谷に移ると勝久は織田信長に属して国吉城に篭もり、朝倉氏と戦った。
元亀元年(1570)には勝久の居城が越前出陣途中の信長の宿所として利用されている。
信長の越前攻めに従い元明を救出し、朝倉氏滅亡後は丹羽長秀に配属された。この頃、長秀の娘を嫁にもらったか?
天正3年(1575)7月、元明を擁して逸見昌経と共に上洛し、信長に謁す。
信長死後は秀吉に仕え馬廻となったが、天正11年(1583)に国替えとなり木村常陸介重茲に所領を譲った。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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