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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

八板 清定 (1502〜1570)

種子島氏の臣。
元は美濃国関の刀鍛冶だという。
天文12年(1543)8月25日、種子島の南端・西之村の小浦にポルトガル商人の乗った中国船が漂着した。
このとき種子島の領主・種子島時尭はポルトガル商人の持つ鉄砲の威力に驚き、2000両の大金を支払い火縄銃2挺を購入し、購入した鉄砲を分解して調べさせ、金兵衛に鉄砲の複製を命じた。
しかし当時の日本には銃底を塞ぐ「ネジ」の概念が無く、金兵衛はポルトガル人の一人に娘・若狭17歳の処女を差し出してネジの製法を聞き出し、ようやく鉄砲の複製に成功した。
種子島には娘・若狭の墓や若狭を記念した「わかさ公園」などがある。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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