江戸 通房 (1410〜1465)
常陸江戸氏当主。 江戸通景の子。子に通秀・通長・通雅・額田通栄・枝川通弘など? 初め河和田城主。 応永23年(1416)からの上杉禅秀の乱では山内憲定の子・佐竹義憲に属して活躍し、乱後に大掾氏が支配していた水戸地方を与えられた。 応永33年(1426)、領地没収後も水戸城に居座る大掾満幹が青屋祭を執行するため常陸府中へ向かった隙に水戸城を奪い本拠とした。その後も周辺諸氏に子弟を送り込むなどして身辺を固め、水戸城江戸氏の基礎を作った。 佐竹義俊・実定の兄弟が家督を争うようになると、通房は山入義知と共に実定を支持して享徳元年(1452)に義俊を太田城から追い、実定の家督相続後には実定の補佐役として重用された。 享徳3年(1455)からの享徳の乱では関東管領・上杉房顕に従い古河公方・足利成氏と戦い、長禄3年(1459)には将軍・足利義政から幕府と主・実定への忠節を賞賛された。 寛正6年(1465)5月3日、没。
水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp http://katsura-kotonoha.sakura.ne.jp/etc/olhlp/00/00/00/81.shtml