烟田 忠幹 (?〜1580)
烟田泰幹の子。子に通幹。 永禄9年(1566)、鹿島治時の不手際によって新里・当間など所領三ケ村が武田通信に奪われたため鹿島氏との関係が不安定になり、江戸通政の娘を子・通幹の妻に迎えて安全を図った。 永禄12年(1569)、鹿島氏幹・義清の兄弟による家督争いがあり、烟田氏は義清に与して氏幹と戦ったが夜襲を受けて多くの死傷者を出し、人質を出して氏幹と和睦した。 元亀2年(1571)、武田通信に奪われた所領三ケ村を中分し、通信の子・信房と和睦。
水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp http://katsura-kotonoha.sakura.ne.jp/etc/olhlp/00/00/00/91.shtml