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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

真里谷 信応 (1515〜1552)

真里谷武田氏。上総真理谷城主。
真里谷信保の子。信隆の弟。弟に信秀。子に信高。
兄・信隆の家督相続に反対して足利義明・真里谷信助らと結んで兄・信隆を椎津城に追った。
天文6年(1537)、足利義明・里見義堯らの支援を得て信隆の諸城を攻撃し信隆を武蔵国金沢に追った。
天文7年(1538)、国府台合戦で義明が戦死すると後ろ盾を失い、北条氏綱の支援をうけた兄・信隆に家督を奪われ里見義堯を頼って逃れた。
後、兄・信隆の子・信政が義堯と対立するようになると甥・信政を助けて義堯と戦った。
天文21年(1552)、真里谷城を義堯に攻められ自害した。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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