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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

真里谷 信隆 (1496〜1551)

真里谷武田氏の当主。峰上城主・百首城主。
真里谷信保の庶子。弟に信応・信秀。子に信政。
父・信保の隠退により家督相続。
信隆の家督相続に反対して弟・信応を擁立する足利義明・真里谷信助によって椎津城に追われた。
天文6年(1537)、弟・信応と結んだ足利義明・里見義堯らに攻められ、北条氏綱を頼って武蔵国金沢へ逃れた。
天文7年(1538)、国府台合戦で義明が戦死し、氏綱の支援をうけて、後ろ盾を失った信応を破り家督に復す。
天文12年(1543)、従兄弟である笹子城主・真里谷信茂に謀反の疑いがあるとして朝信に命じて信茂を滅ぼす。
天文18年(1549)、里見氏に小久留城・佐貫城を落とされる。
天文20年(1551)8月2日、没。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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