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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

足利 成氏 (1438〜1497)

鎌倉公方、古河公方。
足利持氏の子。子に政氏・義綱(上杉顕実)。
永享11年(1439)、父・持氏が永享の乱で敗死した時には信濃へ逃れていた。
文安4年(1447)、越後守護・上杉房定らの斡旋により鎌倉に帰る。
文安6年(1449)、将軍・足利義成から「成」の一字を賜り成氏と名乗り鎌倉公方となる。
しかし上杉氏との関係は良化せず、宝徳3年(1451)には上杉氏の家臣に館を襲撃されるなどした。
享徳3年(1454)、山内憲忠を謀殺し、跡を継いだ憲忠の弟・房顕らと本格的な抗争に入る。
享徳4年(1455)、分倍河原合戦で犬懸憲顕・扇谷顕房らを戦死させたが、間もなく今川範忠に攻められ鎌倉を捨てて古河へ逃亡し、古河公方となる。
文明3年(1471)、伊豆国三島に堀越公方・足利政知を攻めるが政知の援軍・扇谷政真に撃退され、山内上杉氏の臣・長尾景信に古河城を奪われ千葉孝胤を頼った。
文明4年(1472)、古河城奪回。
文明5年(1473)、武蔵国五十子にある政真の居館を急襲して政真を討ち取る。
文明10年(1478)、房顕の養子となった上杉房定の子・山内顕定と和睦。
文明14年11月(1483年1月)、幕府と和解。
長享の乱では初め扇谷定正を、定正の死後は山内顕定を支持した。
明応6年(1497)9月30日、没。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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