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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

足利 高氏 (1485〜1535)

古河公方。
足利政氏の子。弟に義明・基頼。子に晴氏・晴直(上杉憲寛)・大内晴泰。妻は宇都宮成綱の娘。
明応4年(1495)、将軍・足利義高から「高」の一字を得て高氏と名乗り元服。
上杉氏との接近を図って永正2年(1505)に叔父・義綱を上杉顕定へ養子に出した父・政氏の政策に反対して永正3年(1506)に宇都宮成綱のもとに身を寄せたが永正6年(1509)には和解して古河に帰った。
永正7年(1510)、上杉顕定の死後、叔父・顕実と憲房が対立すると父・政氏は顕実を支持したが高氏は憲房を支持した。
永正9年(1512)、父・政氏を下野国の小山政長のもとへ追って古河公方を継ぎ、北条氏綱と結んで扇谷上杉氏や山内上杉氏に対抗したが、後に山内上杉家とは和睦して子・晴直を山内上杉氏へ養子に出した。
永正16年(1519)、千葉勝胤・原胤清・高城胤吉らを率いて足利義明に属する上総国椎津城を攻撃した。
天文4年(1535)10月8日、没。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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