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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

足利 義明 (1487〜1538)

小弓公方。
足利政氏の子。高氏の弟。弟に基頼。子に義純・頼淳・青岳尼。娘・青岳尼は里見義弘の正室。
初め空然と称して鎌倉雪下八正寺に住したが、父・政氏と兄・高氏が対立すると宗済と改名して流浪した。
永正7年(1510)、還俗して名を足利義明と改めた。
永正14年(1517)10月15?日、真里谷信勝・信保に擁されて千葉家臣の原胤隆・原虎胤・高城胤吉らを破って小弓城に入り、小弓公方と称して独立した。
扇谷朝興が大永4年(1524)に北条氏綱に江戸城を追われたため、朝興を支援するべく大永6年(1526)には真里谷信保・里見義豊・里見実堯らに海上から江戸城下の港湾都市・品川や今津などを攻撃させた。
信保の隠退後に家督争いが起こると、真里谷信隆の弟・信応を擁立して天文6年(1537)には信隆を武蔵国金沢に追った。
天文7年(1538)、北条氏綱との第一次国府台合戦で弟・基頼や子・義純らと共に戦死した。


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