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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

喜連川 頼氏 (1580〜1630)

足利頼淳の次男。国朝の弟。子に義親。
文禄2年(1593)、兄・国朝が病死したため、兄の正室であった義氏女(鴻巣御所)と再婚して喜連川氏を継いだ。
慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦には参加しなかったが1000石が加増された。
しかし、古河公方の血を引く義氏女は喜連川への移住を拒否して古河鴻巣館に暮らし続けた。
喜連川藩の知行は4500石程度であったが、その出自の良さから10万石の大名並の家格と御所号とを許された。
寛永7年(1630)6月13日、没。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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