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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

足利 義綱 (?〜1515)

足利成氏の子。政氏の弟。山内顕定の養子。足利高氏・足利義明は甥。
永正7年(1510)、顕定の死により関東管領を継いだが同じく顕定の養子であった憲房と対立した。
顕実は武蔵鉢形城に拠って古河公方である兄・政氏や長尾顕方・成田顕泰らの支持を得ていたが、政氏の子・高氏が憲房を支持したため対立は泥沼化し、さらに憲房を支持する横瀬景繁・長尾景長らに鉢形城を攻められたため、政氏を頼って下総古河城に逃走した。
永正12年(1515)、療養先の信濃国諏訪の温泉で病没した。


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