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井伊 直虎 (?〜1582)

初め今川氏の臣。井伊谷城主。
井伊直盛の子。直親の許嫁。又従兄弟に直政。
永禄8年(1565)、父・直盛、祖父・直宗、曾祖父・直平、父の従兄弟・直親、大叔父の直満・直義といった一族の主立った者が天文11年(1542)から永禄7年(1564)の間に相次いで死亡し、直親の子・直政も幼少であったため、次郎法師が直虎を名乗って当主となった。
永禄11年(1568)、大伯父の仇・小野道好に井伊谷城を横領されるが近藤康用・鈴木重時・都田忠久らを内応させ奪回、関口氏経との連名で領内に徳政令を発布した。
元亀元年(1570)、徳川家康に許嫁・直親を讒言した罪で小野道好を処刑させる。
元亀3年(1572)、遠江に侵入した山県昌景に井伊谷城を明け渡し、井平城で敗れ、浜松城へ逃れた。
天正3年(1575)、許嫁・直親の子・直政を家康に出仕させた。
天正10年(1582)8月26日、没。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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