目次 > > まえ > 前田 利益
これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

前田 利益 (1541?〜1612)

滝川益氏(あるいは益重)の子。前田利久の養子。子に正虎。
永禄10年(1567)、信長の命により養父・利久と共に荒子城を前田利家に譲って退く。
天正9年(1581)、荒子住人・前田慶次郎が熱田神宮に太刀を奉納したという。
天正10年(1582)頃、妻の父・前田安勝を頼って義理の叔父・利家に仕官し、利家より5000石を与えられる。
天正12年(1584)、佐々成政に攻められた末森城の救援に赴き、神保氏張らと交戦する。
天正18年(1590)、小田原征伐では叔父・利家に従い上杉・真田・北条方の諸城の攻撃に参加した。
天正18年(1590)〜慶長3年(1598)頃、主・利家と仲違いして浪人、京都で九条稙道・古田織部や里村紹巴・昌叱らと交流をもったという。
慶長3年(1598)〜慶長5年(1600)頃、上杉景勝に仕官し、景勝の臣・直江兼続の与力として1000石を与えられた。
慶長5年(1600)、関ヶ原の役では直江兼続に属して最上義光の長谷堂城攻撃に参加、敗走時に殿軍として功を上げたという。
慶長6年(1601)、関ヶ原での敗戦により上杉氏が米沢30万石に減封されると再び浪人し、米沢近郊の堂森に隠棲した。
慶長17年(1612)、堂森に没すという。
体格に恵まれ文化人との交流をも好む文武両道の将であった一方、奇矯な振る舞いを好む傾奇者でもあったという。


Google
ご意見・ご感想をお聞かせ下さい。匿名で送信できます。

 * 返信が必要な場合には postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp へ直接メールしてください。

目次 > > まえ > 前田 利益

水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
http://katsura-kotonoha.sakura.ne.jp/etc/olhlp/00/00/01/02.shtml