足利 義栄 (1538〜1568)
足利義冬の子。弟に義助。 阿波国平島荘に生まれる。 永禄8年(1565)、松永久秀・三好三人衆らによって将軍・足利義輝が殺害され、次の将軍候補として久秀・三人衆らに擁立されて家督を継いだが、間もなく久秀と三人衆とが争うようになり、義栄も三人衆に強要され久秀と争うようになった。 永禄9年(1566)、三好党の篠原長房・三好康長らに擁されて摂津国に上陸した。 永禄9年(1566)12月28日、従五位下左馬頭に叙任され、名を義親から義栄と改めた。 永禄10年(1567)1月5日、左馬頭に任官。 永禄10年(1567)11月、朝廷に対し将軍就任を申請したが朝廷の要求した献金に応じられず拒絶された。 永禄11年(1568)2月8日、三人衆の推挙により朝廷から将軍宣下が下され正式に将軍に就任した。 永禄11年(1568年)9月〜10月、病没。
水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp http://katsura-kotonoha.sakura.ne.jp/etc/olhlp/00/00/01/09.shtml