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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

柳生 宗厳 (1527〜1606)

柳生庄の主。大和柳生城主。新陰流の剣術家。
柳生家厳の子。子に厳勝・宗矩・宗章。
筒井氏・三好氏(松永久秀)・織田氏(久秀)の臣。
初め戸田一刀斎・神取新十郎らに師事して剣術を学んだ。
天文13年(1544)、筒井順昭に降伏した。
永禄2年(1559)、三好長慶の麾下・松永久秀が大和に進出したため筒井氏を離れて久秀に従った。
永禄6年(1563)、多武峰合戦で久秀から感状を与えられた。
永禄6年(1563)、新陰流の上泉信綱に試合を申し込んだが信綱およびに信綱の弟子・疋田文五郎に完敗して弟子入りした。
永禄8年(1565)、信綱から一国一人の印可を受けた。
永禄9年(1566)、多武峰衆徒と戦い負傷。
永禄11年(1568)、宗厳はの属する久秀が織田信長に臣属し、宗厳は久秀の推挙で信長の大和侵攻の先導を務めた。
元亀2年(1571)、久秀に従い大和辰市に筒井順慶と戦う。
後、筒井氏が信長に降ったことで大和侵攻における柳生家の価値は低下し、宗厳は家厳から家督を譲り受けて柳生庄に籠もって静かに暮らしたが、太閤検地で隠田が摘発され所領を没収された。
文禄3年(1594)、徳川家康に奥義・無刀取りを披露して柳生に500石の所領を与えられ、老齢であった宗厳の代わりとして子・宗矩を出仕させた。
慶長11年(1606)4月19日、没。


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