目次 > > ひき > 疋田 文五郎
これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

疋田 文五郎 (1527〜1605)

新陰流の剣術家。疋田陰流剣術・疋田陰流槍術の祖。
上泉信綱の姉の子?
元は加賀国石川郡の人。
信綱の身辺の世話をしながら信綱に剣術を学んだ。
長野家に属した上泉信綱の麾下として同門の神後伊豆守宗治らと共に各戦場で活躍したという。
長野家滅亡後も放浪する信綱に同行した。
永禄6年(1563)、信綱の代理として信綱に試合を申し込んだ柳生宗厳と立ち会った。
文五郎は宗厳の構えを見るや「その構えは悪し」と言って一刀のもとに宗厳を打ち据えた。
この日、文五郎は宗厳と三度試合って三度とも完勝した。
後、信綱と別れて織田信忠・豊臣秀次・細川藤孝・細川忠興・寺沢広高らに仕えた。
慶長10年(1605)、豊臣秀頼に仕えて大坂城に没す。


Google
ご意見・ご感想をお聞かせ下さい。匿名で送信できます。

 * 返信が必要な場合には postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp へ直接メールしてください。

目次 > > ひき > 疋田 文五郎

水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
http://katsura-kotonoha.sakura.ne.jp/etc/olhlp/00/00/01/0d.shtml