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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

蠣崎 季広 (1507〜1595)

蠣崎義広の子。子に舜広・元広・慶広・蔵人正広・玄蕃頭長広(定広)・与三郎包広・作左衛門吉広・仲広・守広(忠広)・主水助員広(景広)・右衛門大夫貞広・利広など。
享禄4年(1531)、蝦夷勢に徳山館を襲撃されたが撃退。
天文5年(1536)、和議を結ぶと偽り西部蝦夷酋長・タリコナを誘殺した。
天文14年(1545)、父・義広の死により家督相続。
天文18年(1549)〜天文20年(1551)、安東舜季の指示で蝦夷と和睦し、ハシタインを西蝦夷奉行、チコモタインを東蝦夷奉行として蝦夷地の支配権を認めた。
天正11年(1583))、家督を子・慶広に譲り、季広は慶広を後見した。
季広は安東氏の被官として天文14年(1545)・永禄10年(1567)・天正9,11,14,16,18年(1581,83,86,88,90)に安東氏の要請に従い軍役を負担しているが、その一方では独自の婚姻政策やアイヌとの独占交易などを行って子・慶広が安東氏から独立する基礎も作っている。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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