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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

蠣崎 義広 (1479〜1545)

蠣崎光広の子。弟に高広(1483〜1521)・基広。子に季広。
永正9年(1512)、挙兵した東部蝦夷酋長ショヤ・コウジ兄弟を撃退。
永正11年(1514)、松前大館を奪回し、主・安東尋季から上国松前両守護職に補任され、和人商船からの運上徴収を認められた。
永正15年(1518)、父・光広の死により家督相続。
大永5年(1525)、東西の蝦夷が挙兵、義広は兵を率いて抵抗したが各地で敗戦を繰り返した。
享禄元年(1528)、徳山館を襲撃されるが自ら槍を振るう激戦の末、撃退。
享禄2年(1529)、降伏すると偽り西部蝦夷酋長・タナサカシを誘殺した。
享禄4年(1531)、徳山館を襲撃されるが子・季広の奮戦により撃退。
天文5年(1536)、降伏すると偽り西部蝦夷酋長・タリコナを誘殺した。
天文14年(1545)8月19日、没。
強弓の人で、その矢は賊の身体を貫くほどであったという。


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