目次 > > おの > 小野 鎮幸
これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

小野 鎮幸 (1546〜1609)

立花道雪・立花宗茂・加藤清正の臣。日本七槍の一人。
小野弾正鑑幸の子。子に質幸。養子に鎮矩。従兄弟に喜八郎成幸。母は大友義鎮の娘。
初め大友家から派遣された軍目付だったが、由布惟信に推挙され立花道雪に仕えた。
生涯で22度の合戦に参加し68枚の感状を受けたほどの猛将だった。
道雪の子・宗茂の代には家中最高禄の5000石を与えられ蒲池城を任された。
慶長5年(1600)、関ヶ原合戦で立花家は西軍に属したが、西軍敗戦後に柳川に攻め込んできた鍋島直茂を、謹慎中の主・宗茂の代理として撃退した。
立花家改易後は加藤清正に仕えたが、流浪する宗茂を資金的に支援し続けた。
慶長14年(1609)6月23日、没。


Google
ご意見・ご感想をお聞かせ下さい。匿名で送信できます。

 * 返信が必要な場合には postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp へ直接メールしてください。

目次 > > おの > 小野 鎮幸

水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
http://katsura-kotonoha.sakura.ne.jp/etc/olhlp/00/00/01/33.shtml