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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

高田 又兵衛 (1590〜1671)

槍術家。高田派槍術の祖。
子に吉深・新左衛門吉和・八兵衛吉通・弥太郎吉全。孫に高田資政。
元は伊賀の人。
初め中村尚政に師事して槍術を学び、後には尚政の師・宝蔵院胤栄の直弟子となった。
慶長8年(1603)、宝蔵院流槍術の印可を得る。
元和9年(1623)、播磨国明石藩・小笠原忠真に仕官して400石で馬廻に採用された。
寛永5年(1628)、将軍・徳川家光に槍技を披露した。
寛永15年(1638)、島原の乱で槍手一隊を率いて本丸を陥れた功により禄高700石に加増。
慶安4年(1651)、将軍・家光の病状快復を祈願して十文字槍の奥儀を披露した。
寛文11年(1671)1月23日、没。
主・忠真の命で小倉滞在中の宮本武蔵と十文字槍を用いて三度試合し、1勝2分であったという。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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