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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

大宝寺 義氏 (1551〜1583)

出羽大宝寺氏当主。
大宝寺義増の子。弟(義弟?)に義興。
永禄11年(1568)頃、土佐林禅棟の補佐を受けて家督を相続した。
元亀元年(1570)、土佐林氏と通じた大川長秀が尾浦城に侵攻したため土佐林氏と対立したが、本庄繁長を通して上杉謙信を仲介として土佐林氏と和睦した。
元亀2年(1571)、叛乱を起こした禅棟の臣・竹井時友を討ち破り、土佐林氏を降し、藤島城に弟・義興を配して庄内・由利郡を掌握した。
天正7年(1579)、織田信長に馬・鷹などを献上し、信長から屋形号を許された。
天正10年(1582)、最上方の清水城・鮭延城や秋田方の新沢城などを攻め立てた。
天正11年(1583)、義氏が新沢城攻城戦で敗退すると、最上義光と内通した東禅寺義長が謀反し、自害に追い込まれた。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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