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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

大宝寺 義興 (1554〜1587)

出羽大宝寺氏当主。羽黒山別当。
大宝寺義増の子(あるいは丸岡兵庫の子で義増の養子)。兄(義兄?)に義氏。養子に本庄充長。
元亀2年(1571)、竹井時友の叛乱鎮圧後、土佐林氏の居城だった藤島城に入って由利郡に睨みをきかせた。
天正11年(1583)、兄・義氏の死により家督相続。
天正13年(1585)、最上方の清水城を攻撃。
天正14年(1586)、東禅寺義長の叛乱に乗じて侵入した最上家臣・氏家守棟に飽海郡を奪われるが、伊達政宗の仲介により和睦。
天正15年(1587)、東禅寺義長が挙兵し、義興は東禅寺城を攻囲して追い込むが、義長の叛乱に乗じて侵入した最上義光に敗れて自害した。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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