蜷川 親長 (1533〜1610)
足利将軍家の臣。 蜷川親俊の子。兄弟に斎藤親三。子に親満(1578〜1647)。妻は斎藤利賢の娘。 初め足利義輝に仕え、丹波国船井郡桐野河内を領して蟠根寺城に拠った。 永禄8年(1565)、主・義輝が松永久秀に殺されたため没落し、妻が長宗我部元親の妻と姉妹であった縁で元親に仕えた。 慶長5年(1600)、関ヶ原合戦後の長宗我部家改易時には徳川家康から資財の点検を命じられ、更には一揆の鎮圧にも功があった。 慶長7年(1602)、家康の御伽衆として山城国綴喜郡に500石を与えられた。 慶長15年(1610)5月8日、没。 有職故実に通じ連歌の達人でもある一級の文化人であった。
水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp http://katsura-kotonoha.sakura.ne.jp/etc/olhlp/00/00/01/5f.shtml