正木 頼忠 (1551〜1622)
里見氏の臣。 正木時忠の子。兄に時通。子に為春・於万(徳川家康の室、頼宣・頼房の母)。妻は田中泰行の娘。 永禄7年(1564)、父・時忠が里見氏に背いて北条氏康に属したとき、人質として氏康に差し出された。 天正3年(1575)、里見義弘の命で万喜城に土岐頼定を攻めるが敗退した。 天正4年(1576)、父・時忠の死により家督を相続し、勝浦城に拠った。 天正8年(1580)、里見義重に背いた里見義頼を支持、義重を支持する正木憲時に勝浦城を奪われる。 天正16,17,18年(1588,89,90)、万喜城に土岐頼春を攻めるが三度とも敗退した。 天正18年(1590)、秀吉によって里見氏の上総・下総が没収され、安房国に移住した。 慶長11年(1606)の分限帳では一門衆として1000石を領す。 後、娘・於万が徳川頼宣を産んだ縁で子・為春が紀伊徳川家に仕え、頼忠も紀伊に移って元和8年(1622)8月19日に同地で没した。
水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp http://katsura-kotonoha.sakura.ne.jp/etc/olhlp/00/00/01/72.shtml