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これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

水谷 勝隆 (1597〜1664)

水谷氏8代当主。
水谷勝俊の子。子に勝宗。
慶長11年(1606)、父・勝俊の死により家督相続。
慶長14年(1609)、徳川家康に招かれ、江戸城で徳川秀忠や徳川一門衆・徳川家譜代の臣らと並んで猿若舞を鑑賞した。
慶長19年(1614)・元和元年(1615)の大坂の陣では徳川家康に従い大阪城攻撃に参加、5首級を獲った。
寛永16年(1639)、備中成羽藩53000石に転封。
寛永19年(1642)、備中松山50000石へ転封。
万治2年(1659)、江戸城三重櫓の修築を担当し、南光坊天海からの指示であった不忍池の弁財天を建立した。
寛文4年(1664)5月3日、没。
領内には新田開発、交路・水路の整備、鉱業の振興、寺社仏閣の造営などに励み、池田輝興や寺沢堅高の改易時には赤穂城・唐津城の在番を任せられるなど幕府からの信任も厚い名君であった。


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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