目次 > > みず > 水谷 勝吉
これらの情報はフィクションのための個人的な設定資料集です。史実とは異なる場合が多々あります。

水谷 勝吉 (?〜1568?)

水谷氏4代当主。常陸国下館城主。結城氏の臣。
水谷勝之の子。弟に勝持。娘は結城政勝の妻。
永正11年(1514)、父・勝之と共に結城政朝に従い古河公方に属して関東管領に属する佐竹・岩城らとの那須高林合戦に参加した。
没年は田宮伊平家文書『常陸国下館城主代々法名控』によれば永禄10年(1567)、『水谷家譜』によれば永禄11年(1568)であるが、海老原麦禅『水谷蟠龍斎伝』では享禄3年(1530)としている。
一説に水谷勝村の父ともされる伊勢守正吉(?〜1579)は結城政勝から「政(正)」の一字を与えられた勝吉ではなかろうか?
勝吉は男子に恵まれず弟・勝持に家督を譲って隠退したというが、水谷勝村は勝吉(または正吉)の子であり勝持は勝村の後見であったとする説もあり、これは勝吉が正吉であり勝吉(正吉)が甥・勝村を養子に迎えて実父・勝持に後見させていたという意味ではなかろうか?
もし仮に正吉=勝吉であったとすれば隠退後は小山高朝に仕えたか?


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水無瀬 優 postmaster@katsura-kotonoha.sakura.ne.jp
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